2016年2月22日月曜日

モア・アクティブ・ラーニング



「アクティブ・ラーニング」という言葉が教育現場に浸透するにつれて、次のような疑問をもつ先生方が増えてきているのではないでしょうか。


・今日の同僚の研究授業ではグループワークをやっていたが、これはアクティブ・ラーニングなのか?

・自分が昔からやってきた活動型の授業はアクティブ・ラーニングとは言えないのか?

・「これこそがアクティブ・ラーニングだ」というような、見本の授業はないのか?


こうした疑問が浮かぶ背景には、新しい言葉に出会ったときに、それによって表される範囲を明確に線引きしようとする人間の思考の癖があるように思われます。

問題は意外と単純です。


「アクティブ・ラーニング」という語句は、active(形容詞)+learning(名詞)という形をしています。「大きい魚」と同じです。

「アクティブ」は「大きい」と同じ、程度を表す形容詞なのです。そう捉えると、冒頭に挙げたような疑問があまり意味をなさないことが分かってきます。

要するに、「今自分が釣った魚は「大きい魚」なのか?」とか「これぞ大きい魚、というような、「大きい魚」の見本はないのか?」といったことを気にしているのと同じです。

この場合、言うまでもなく、その魚が大きいかどうかは、ほかの魚との比較してはじめて言えることです。絶対的な「大きい魚」など存在しません。問題になるのは、今日釣った魚が、昨日釣った魚「よりも大きい魚」かどうか、ということだけです。


アクティブ・ラーニングも同じです。絶対的な「アクティブ」は存在しません。「モア・アクティブ」か「レス・アクティブ」か。

授業者が気にするべきなのは、自分の授業がアクティブ・ラーニングか否か、ではありません。「今日の授業では、昨日までの授業よりも、子どもにアクティブな学びが生まれただろうか」、つまり「学びを子どもに任せる割合が増えたかどうか」ということです。

そして、中学校(あるいは高等学校)の卒業式の日には、全ての子どもが「自立的な社会の形成者」(担任にも教科担当者にも頼らず自力で学び続ける大人)になっていなければならないのです。その瞬間に向かって、日々の授業は、「モア・アクティブ・ラーニング」を意識して向上し続けなければならないのです。


「今日の授業は昨日の授業よりアクティブに」――これがアクティブ・ラーニングの神髄です。

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